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平家物語:「木曾殿の最期(木曽佐馬頭、その日の~)」のテスト問題の解答


    (1)

    イ)しょうぞく ロ)ひたたれ ハ)あぶみ ニ)だいおんじょう ホ)かじゃ

    (2)

    イ)(討ち)のこすな・(討ち)もらすな ロ)縦・横・八方・十文字に(縦横無尽に)

    (3)

    イ)「同格」の格助詞、「~で」と訳す(その後に格助詞の前にある「矢」を補って訳す)

    ロ)ヤ行上一段動詞「射る」の連用形+接続助詞「て」

    ハ)促音便

    ニ)いかめしい装飾の大太刀を腰につけ(佩き)、石打ちの矢で、その日の戦いで射って少し残った(矢)を

    (4)

    イ)連体形(下に「木曾」と名詞が来ているので「体言」とも出来るし、「聞こゆ」の活用形を覚えたうえで答えるのもよし)

    ロ)同格の格助詞

    ハ)「ふとう(ウ音便)」「たくましい(イ音便)」「乗つ(促音便)」の三つ

    ニ)ぞ→ける

    ホ)有名な木曾(地方の)の鬼葦毛と言う馬(名馬)、非常に立派でたくましいに、金覆輪の鞍を置いて乗っていた。

    (傍線部の「たくましい馬」の部分は同格「の」反映した部分)

    (5) イ)こそ→聞け

    ロ)四段動詞連用形+「過去推量」の助動詞「けむ」の連体形+接続助詞「ものを」

    ハ)過去推量「けむ」と現在推量「らむ」であるから、過去においては「聞くだけ」だったが、今は「目の前」にいると言う事を強調する働き

    ニ)以前には噂に聞いていたであろう、木曾の冠者を、今は(目の前で)見るだろう(実際の)佐馬の頭兼伊予守である旭日将軍源義仲であるぞ。(お前たちは)甲斐の一条次郎と聞く。

    (6)

    イ)「よい(イ音便)」「討つ(促音便)」

    ロ)源頼朝(後ろでは「鎌倉殿」として出てくる事も注意)

    (7)

    イ)禁止の終助詞「な」(終止形に接続する)

    ロ)ぞ→ける

    ハ)一条次郎は、「今のが大将軍(木曾義仲)であるぞ。討ち余すな、者ども。討ち漏らすな若い者ども。討ちとれ。」と言って、大勢の手勢の中に義仲を取り囲んで、自分こそは(総大将である木曾義仲を)討ち取ろうとして進んで行った。

    (8)

    イ)「割つ(促音便)」

    ロ)順接の確定条件の「ば」で、「~~ので」「~~だから」と原因・理由を表わす。

    ハ)四段動詞「なる」の連用形+断定の助動詞「なり」の連用形+過去の助動詞「けり」の終止形

    (なお、「に」+「けり」は良く出てくる表現であり、断定の助動詞が「に」と補助活用になっているのは下に過去の助動詞が来ている事を注意)

    ニ)木曽の軍勢300余騎が、相手の軍勢6000余騎の中を、縦に横に八の字に十字にと縦横無尽に駆け巡り、(その戦闘の中から)後ろへつっと出たところ、五十騎ばかりになってしまっていた。

    (9)

    イ)「破つ(促音便)」

    ロ)ぞ→ける

    ハ)四段動詞「なる」の連用形+断定の助動詞「なり」の連用形+過去の助動詞「けり」の連体形((8)と変わらないが、係り結びがあるので「終止形」ではなく「連体形」になっている)

    ニ)数字を出す事で臨場感を増す効果があり、軍記物語特有のいくさの雰囲気を伝える効果がある。

    (10)

    イ)四段動詞「討つ」の未然形+受け身の助動詞「る」の未然形+打消しの助動詞「ず」の連用形+過去の助動詞「けり」の終止形

    (「れ」を尊敬とすると巴が討たなかったと言う意味になるのでおかしくなる。打消し「ず」は補助活用になっているが、これは「なりにけり」の場合と同じように下に助動詞「けり」が来ているため。なお、「ず」の活用は一見グロイが、さほど覚え辛いわけでは無いので避けないように)

    ロ)「疾う疾う(ウ音便)」

    ハ)「女なれば」の「ば」は已然形+「ば」なので、「~~ので」「~~だから」と訳す(「順接の確定条件」)が、「人手にかからば」の「ば」は未然形+「ば」なので、「もし~~であれば」と訳す(順接の仮定条件)。

    ニ)サ変動詞「す」の未然形+意志の助動詞「むずる」の已然形+接続助詞「ば」

    (助動詞「むずる」はマイナーな助動詞ではあるが、混乱・引っ掛けの趣旨で時々出てくるので注意したい。「ば」は何時もの「ば」で、「~~ので」「~~だから」)

    ホ)尊敬の助動詞「らる」の連用形(「らる」は四段・ナ変・ラ変以外の動詞に接続する。「具す」がサ変動詞なのがポイント)

    へ)受け身の助動詞「る」の未然形+婉曲の助動詞「ん(む)」の連体形+体言

    (「む」は文脈や読み方の上で時々「ん」に変わる事がある。また、「む(ん)」が連体形に接続する場合に「婉曲」として「~~のような」と訳す事が多い)

    (最後の)五騎のうちまで巴は討たれなかった。木曾殿は(巴に)「お前は、女なので、早くどこかに(逃げてor落ち延びて)行け。自分は討ち死にしようと思っている。もし、人の手にかかる(殺される)ならば自害をしようと思っているから、木曾殿の最後の戦(最後を飾るような戦)に女を連れておられたなどと言はれるような事はよくない。

    (「しかるべからず」の「べから」は下に助動詞「ず」が来ているので補助活用となっている事と、(本来の)「べし」の意味として複数の意味があるので(余裕があれば)押さえて置くこと。 ここでは、「良くない」と言う意味があるので「当然」と言う意味となる。「当然すべきではない」と。)

    (11)

    イ)「あつぱれ(促音便)」「よからう(ウ音便)」

    ロ)尊敬語(本動詞) 作者→木曾殿

    ハ)受け身の助動詞「る」の連用形+四段動詞「たてまつる」の連用形(謙譲の補助動詞)

    ニ)下二段動詞「見す」の連用形+四段動詞「たてまつる」の未然形(謙譲の補助動詞)+意志の助動詞「ん(む)」の終止形

    ホ)どちらも「謙譲の補助動詞」である点は同じだが、「れ奉り」の方は地の文であるから作者から(巴を低くして)木曾殿を高める事から木曾殿への敬意を表わすが、「見せ奉らん」は会話文であるので巴から木曾殿への敬意を表している。

    へ)と(木曾殿は)おっしゃったけれども、(巴は)それでも落ちて行かなかったが、あまりに(強く)言われなさり、「りっぱな敵がいればなぁ。最後のいくさしてお見せ申しあげよう」と言って、

    (「よからう敵がな」は、形容詞「よく」(「よから」と補助活用になっているので「う」が助動詞?と勘ぐる必要。「う」は「む(ん)」が変化したもので、「敵」と体言に接続する連体形なので「~~のような」と婉曲or推量で訳す。 「がな」は願望の終助詞(これは自分の願望)である。)

    (12)

    イ)「取つ(促音便)」「乗つ(促音便)」「ねぢ切つ(促音便)」「てん(撥音便)」

    ロ)ぞ→行く

    ハ)元来は「捨ててけり」であったが、「捨ててん」と撥音便化した事で「けり」が「げり」と変化したもの。 この表現法は軍記物に特有の表現方法である。

    ニ)控えているところに、武蔵の国に有名な大力である御田八郎師重が30騎余で出てきた。巴はその中に駆け入って、御田八郎と馬を並べてむんずと(御田八郎を)引き寄せて馬の下に引きずり落とし、自分(巴)の乗っている馬の鞍の前輪に 押さえつけて、少しも身動きさせずに、首をねじ切ってすててしまった。その(たたかいの)後、巴は鎧かぶと等の武具を脱ぎ捨てて、東国の方へ落ち延びて行った。手塚の太郎は討ち死にした。手塚の別当は落ちていって(逃げて)しまった。

    (「巴(巴御前)」の最後のシーンでもあるが、負け戦の続く木曾軍(滅び行く木曾軍)の中での最後の輝かしい場面である。 この輝かしい場面を女性である巴が成し遂げている部分にこのシーンの真骨頂があるとも言える。 それは、主人である木曾殿が(旭日将軍として天下に一時的にせよ覇をとなえた身として)堂々と戦いの中で死のうとしている中で、 最後まで残った部下であり愛妾である巴からのせめてもの餞(はなむけ)である訳だが、後のシーンで、 木曾殿は自分の発言の様に「自害」は出来ずに無様に討ち取られてしまう場面とは非情なほど好対照をなしてくる。
    (「平家物語」は所謂「琵琶法師」が語り継ぐものを聞くことによって観賞していた訳だが、当時の武士は「力こそ」であり文字を読む・書くは二の次であって 聞く事でしか平家物語を十二分に堪能出来なかった事は、「平家物語」の文章がある意味わかりやすい事と無縁ではない)
    (歴史系のものの常として)勝者の歴史を褒め称え語り継ぐ意味合いもある軍記物の中で、敗者となった「旭日将軍義仲」を貶める事は 結果として(間接的に)勝者となった「鎌倉殿(源頼朝)」の栄光に繋がる事にもなる。 そういう意味も含めて、「巴」は超人的でなくてはならないし、それを強調する意味合いで「捨ててんげり」と言う語り口調が用いられている事は、 否が応でも盛り上がっているこのシーンで無くてはならない要素の一つと言う事になろうか。)