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平家物語:「祇園精舎」のテスト問題の解答


    (1)

    イ)じょうしゃひっすい ロ)たけきもの ハ)うれうる ニ)こういん ホ)かずさのすけ へ)てんじょう

    (2)

    イ)中国 ロ)日本の事(説話集などでは「本朝」=日本、「天竺」=インド、「震旦」=中国と表したりする)

    (3)

    イ)同じ(形容詞シク活用「同じ」の終止形)

    ロ)ず→打消しの助動詞「ず」の終止形、ごとし→比況の助動詞「ごとし」の終止形、ぬ→完了の助動詞「ぬ」の終止形

    (「ごとし」はしたが「。」なので終止形だと言うのは分かるが、「ず」「ぬ」は下が「、」なので終止形とするのに抵抗があるところなのでしっかり覚えておく方が良い。もちろん、活用を覚えていれば何の問題も無いが……)

    ハ)祇園精舎の鐘の声には、万物は流転して同じものは無いと言う響きがある。沙羅双樹の花の色は勢いのあるもの(栄えているもの)は必ず衰えると言う道理(orことわり)を表わしている。(祇園精舎の鐘の声や沙羅双樹の花の色が示すように)おごりたかぶっている人も長くはなく、(その栄華は)まさに春の夜の夢のようである。勢いの強い者であっても結局は滅びてしまう。(それは)まったく風の前の塵と同じようである。

    (4)

    イ)とぶらへばの「ば」は、四段動詞「とぶらふ」の已然形+「ば」であり、順接の確定条件として「~ので」「~だから」と言う原因・理由を表わす。「知らざつしかば」の「ば」は過去の助動詞「せ」の已然形「しか」+「ば」なので、同じく順接の確定条件として「~ので」「~だから」と訳す。

    ロ)久しから(形容詞シク活用「久し」の未然形、ここは下に「ず」と言う助動詞が接続しているので、本活用ではなく補助活用になっている点に注意。)

    ハ)ざつ(元々は、打消しの助動詞「ず」の連用形「ざり」が促音便になったもの)

    ニ)断定の助動詞「なり」の終止形

    ホ)遠く中国を尋ねてみれば(観てみれば)、秦の趙高、前漢の王莽、梁の朱异(異)、唐の安禄山など、 これらの者は皆、元の主君や先代の皇帝の(善い)政治にも従わないで、 (自らの)楽しみを極め、(他人の)諫めを聞く事もなく、天下が乱れるような事を考えもせずに、 一般の人々が(世の中の乱れを)心配し嘆いていることを知らなかったので、長く続くことなく滅んでいった者たちである。

    (5) イ)こそ→ね。(もうひとつ、「こそ」→「しか」ども、と言う場面も目につくが、已然形「しか」の後ろに接続助詞の「ども」が付く事で係り結びは流れている。)

    ロ)四段動詞「おごる」の已然形+存続の助動詞「り」の連体形(「り」は完了の助動詞がまず浮かぶが、下に体言がある場合には「存続」として「~している」と言う意味になる事も考える必要がある。また、完了(存続)の助動詞「り」は接続が特殊なので注意する事(「り」「か(完了)」「さ(サ変動詞)み(未然形)」「し(四段動詞)い(已然形)」と覚える。)

    ハ)可能の助動詞「る」の未然形(前の部分で、心も言葉も及ば○となっているので、文脈から「可能」と考える)

    ニ)近いところで、我が国の例を尋ねてみる(振り返ってみる)と、承平の平将門、天慶の藤原純友、康和の源義親、平治の藤原信頼など、これらの者はおごりたかぶっている心も勢いが盛んであることも、皆それぞれにあったけれども、 最近では、六波羅の入道前の太政大臣である朝臣平清盛公と申した人の様子は伝え申し上げるのに 心も言葉も及ばない(ほど「祇園精舎」の具体例に当てはまる人である)。

    (「遠く異朝」「近く本朝」は距離的なものとも取れるし、「ま近く」としている事から時間的に「遠く=古い」「近く=最近」とも考える事は出来る。)

    (6)

    イ)四段動詞「とぶらふ」の已然形に接続する「ば」であるから順接の確定条件になるが、「~すると」「~したところ」と言う意味の偶然条件となるので注意。

    ロ)清盛公の祖先を調べてみれば(調べたところ)、桓武天皇の第五皇子である一品式部卿葛原親王の九代目の子孫にあたる讃岐守正盛の孫である刑部卿忠盛朝臣の長男である。

    (7)

    イ)賜つ(四段動詞「賜ふ」の連用形が促音便になったもの)

    ロ)完了の助動詞「ぬ」の終止形(打消しの助動詞「ず」と混乱しない事。打消しの助動詞「ず」は未然形に接続。完了の助動詞「ぬ」は連用形に接続する。)

    ハ)葛原親王の御子(こども)である高視王は無位無官でなくなってしまった。その御子(こども)である高望王の時に初めて平の姓を賜って、上総の国の次官におなりになった時から急に皇族を出て臣下に連なる。

    (8)

    イ)受身の助動詞「る」の未然形(「仙籍(高い位)」を許されていないと言う意味なので「受身」と考える)

    ロ)高望王の子の鎮守府将軍義茂は後に国香と名前を改める。国香より正盛に至るまでの六代は諸国の国司であったけれども、殿上の間に昇る事はまだ許されなかった。

    (9)

    イ)体言「ものども」に接続するので、断定の助動詞「なる」の終止形

    ロ)体言「朝臣」に接続するので、断定の助動詞「なる」の終止形

    ハ)体言「無位無官」に接続するので、断定の助動詞「なる」の連用形

    ニ)体言「上総介」に接続するが、断定の助動詞の「~だ」と言う訳を入れると不自然になるので格助詞の「に」

    ホ)体言「人臣」に接続するが、断定の助動詞の「~だ」と言う訳を入れると不自然になるので格助詞の「に」

    ニ)体言「受領」に接続する「たり」なので、断定の助動詞「たる」の連用形(「たる」が断定の助動詞である事を忘れない事)

    (10)

    3組

    「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」⇔「沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす」
    「おごれる者は久しからず、ただ春の夜の夢のごとし」⇔「猛き者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ」
    「遠く異朝をとぶらへば、」⇔「近く本朝をうかがふに」