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枕草子106段:二月のつごもりのころ 品詞分解



枕草子106段:二月のつごもりのころ 現代語訳・品詞分解《前半》



    二月下旬(30日)のころ、風がすごく吹き、空は大層黒い上に、雪が少し散る様な時、(私が居た)黒戸に主殿司がやって来て、「おじゃまします」と声がするので、傍へよったところ、(主殿司は)「これは、公任の宰相殿の(お手紙です)」と言ってよこしたのを見ると、懐紙に (まだ二月ですが、)少し春が来た気がします。 と(手紙に)書いてあるのは、本当に今日の空模様に良く合っている(表現)であるが、この句の上の句はどのようにしてつけるべきかと思い悩んでしまった。 「(公任殿とご一緒の方達は)どなた達ですか」と尋ねれば、「誰それ」と答える。


    ・二月→ 【きさらぎ(如月)】

    ・黒き「に」→ 接続助詞「に」を「さらに」とか「~~の上に」と訳す。

    ・黒戸→ 女房(清少納言など女官)などが詰めていた部屋の一つ。清涼殿の北側にあった。(枕草子では他に「関白殿、黒戸より(129段)」「頭の中将の(82段)」などでも出てくる。

    ・主殿司→ とのもづかさ 宮中で清掃・灯火・薪火などを管理した女官達の事。

    ・かうてさぶらふ→ 直訳すると「このようにしておひかえしている」となるが、転じて、挨拶等で「ごめんください」「おじゃまします」などの意味に使われた。

    ・公任の宰相殿→ 藤原公任を指す。当時の著名な文化人・教養人。【和漢朗詠集】の選者。【大鏡】にも「三船の才」として、当時、比類なき才能の持ち主である事が取り上げられている。

    ・見れ「ば」→ 「已然形」+「ば」→「~~ので」「~~だから」と訳す。

    すこし春あるここちこそすれ→ 唐の白居易(白楽天)の著作である【白氏文集】の一節から引いた一句。当時は和歌のやりとりが日常の事でもあり、この様な句を繋ぐ事も見られた。

    (※894年の遣唐使停止以後100年近くたっているが、【漢文】が貴族の間で重宝されていた事が分かる。また【漢文】は真名とされ男性が習得するものと言う理解の中で(【かな】は仮名とされ女性)、女性である清少納言が【白氏文集】であることを理解して返歌する点に相当の知識・教養を有していた事を示すくだりとなっている。また、公任の側からも【白氏文集】が分かるか?と試されている場面でもある。)

    ・こそ➡すれ→ 【係り結び】であり、「こそ」➡「已然形」

    ・これが本は→ 「これがもとは」と読む。「もと」は”すこし春ある ここちこそすれ(7・7)”の部分に対応した「上の句(5・7・5)」の部分を指す。

    ・いかで「か」➡「む」→ 【係り結び】であり「か」➡「連体形」。また「か」は疑問・反語の係助詞であるから「どうして~~だろうか」と訳す。

    ・誰々「か」→ 係助詞であるが、対応する係り結びがない。そのことから「終助詞」と解する考え方もある。


枕草子106段:二月のつごもりのころ 現代語訳・品詞分解《中半》



    皆たいそう立派な(方々の)中で、公任の宰相へのお返事をどうしていい加減に言いだせようか(いや言い出せない)、と一人で悩むところ、中宮様に御覧に入れようとしたけれども、天皇様がいらしておやすみになられてしまった。

    ・はづかしき中→ 「はづかしき」は【はづかし】の「連体形」であり、「こちらが気恥ずかしくなるくらい立派だ」と訳す。「こちらが気恥ずかしくなるくらい立派な方々(文化人・教養人)の中で」

    ・いかで「か」➡出で「ん」→ 【係り結び】であり、「か」➡「連体形」。「か」は疑問・反語の係助詞でこの場合は「反語」なので、「~~出来ようか、いや出来ない。」と訳す。

    (※疑問・反語の区別は文脈による。先に出て来た【いかでか~~つけなむ】の場合に、”どうして上の句(本)をつけようか、いやつけない”では言葉上はなりたつが、これをすれば、作者が公任殿に対して失礼に当たる事になるので、あり得ない事になる。他方、今回は”どうしていい加減に出来ようか?”なので、そのまま【いや、無い】=”いい加減に出来ない”とする方が失礼に当たらないからである。)

    ・心ひとつに→ 「心」が一つなので、自分一人と考える。

    ・御前→ 単純な単語の意味としては「偉い人」だが、【枕草子】の中では「中宮定子」を表す。

    ・御覧ぜさせん→ 「御覧ぜ」と敬語があり、「させ」と続くので(二重敬語として)【中宮の行為】と考えるかもしれないが、「に」をどう訳すのかと言う事と、”中宮がごらんになろうとするが”となって、上の「心ひとつに」から飛躍する。ここは「御覧ぜ」は敬語であるが、「させ」は尊敬ではなく【使役の助動詞】と考えて、”(わたくしが)紙を中宮に御覧に入れる”と言う意味と考える。偉い人(中宮)に【使役】と言うのは一見釣り合わない気もするが、「御覧ず」と敬語が付く事で敬意は図られているので、と言う事になる。

    ・上→ 単純な意味としては「偉い人」や「目上の人」を指すが、古典の文章では「天皇」を指す事が多い。


枕草子106段:二月のつごもりのころ 現代語訳・品詞分解《後半》



    主殿司は「早く早く」と言う。本当に(返歌が良くない上に)返すのが遅くまでなる様な事は、大変とりえもないので、”えいままよ”と、 空が寒いので花と見間違えて降る雪が(空が寒いので降る雪を花と見間違えて) と、ふるえながら書いて(主殿司に)渡して、(公任殿をはじめとした皆さんが)どのように思うのであろうかと切ない。


    ・げにおそう「さへ」→ 副助詞「さへ」は程度を表して、「~~までも」と訳す。この場合は、「(自分の)公任殿への返歌が大したこと無い」のに、更に「遅れる事までも(あったら情けない)」と言う意味を持つ。

    ・さはれ→ 感動詞であり、奮起させる様な場合に使う表現。「えいままよ」と訳す事が多い。(「どうにでもなれ」と言う意味)

    ・空さむ「み」→ 形容詞の語幹+「み」で「~~なので」と訳す。

    ・「いかに」思ふ「らん」→ 「いかに」+「らん」で「どうして~~だろうか」と原因・理由が無い疑問を表す。また「らん」は現在推量「らむ」の変化したもの。


    これの評価を聞きたいと思うが、悪く言われていれば聞くまいと思うのに、「俊賢の宰相などは(返歌に感心して)『やはり、帝に奏上して内侍にして頂こう』と評価なさっていらっしゃいました」とだけ、 左兵衛督で、中将でいらした方が(私に)お話くださいました。


    ・聞か「ばや」→ 「ばや」は自己の願望を表す終助詞。「~~たい」と訳す。

    ・そしられたら「ば」→ 「未然形」+「ば」で、【仮定】を表す表現(順接の仮定条件)となる。「もし~~ならば」と訳す。

    ・聞か「じ」→ 打消し意志の「じ」の終止形。この場合になぜ終止形が分かるのかは、下に続く格助詞「と」があるため。「と」は区切りを示す働きがあり、この上に付く活用形は「終止形」が多い。また、「打消し意志」なので、「~~ない」ではなく「~~まい」と意志を込めた表現を使う。

    ・宰相「など」→ 副助詞「など」で、「~~さへも」と訳す。「俊賢の宰相の様な(一流の文化人・教養人)さへも(返歌に)感心して」

    ・奏し→ 謙譲語であるが、天皇(上皇・法王)に対してだけ使われるので【絶対敬語】と呼ばれる。「申し上げる」と言う意味。

    ・内侍に奏してなさん→ 直訳すれば「内侍にお願いしてして貰おう」と言う事になる。あくまでお願いする相手は「帝」であり(「奏す」から当然の事なのだが)、訳す位置を変えた。

    ・「なん」さだめ給ひ「し」→ 係助詞「なん(なむ)」があるので【係り結び】で「し」と連体形になる。「給ひ」は、発言者である左兵衛督である中将から俊賢の宰相への敬意を表す「尊敬語」。

    ・左兵衛督「の」中将におはせし、→ 同格の「の」で、中将におはせし【方】などと補って訳す。「し」が連体形になっているのも、同格の「の」を受けて体言を補う事を暗示している。また、「中将に」の「に」が断定の助動詞である事に注意。