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「枕草子」と「源氏物語」其の壱:(清少納言と紫式部)




      一条天皇を中心とする藤原氏のサロンから生み出された「枕草子」と「源氏物語」。

      日本を代表する「枕草子」と「源氏物語」。
      両者は共に平安時代中期の1000年前後に出来たものであり、どちらも当時の有力貴族のサロンの中で女性によって産み出された事は注目に値するでしょう。

      「枕草子」の作者は【清少納言】
      彼女は藤原の道隆の長女である中宮定子のサロンに出仕をします。

      「源氏物語」の作者は【紫式部】
      彼女は藤原道長の長女である中宮彰子のサロンに出仕(宮仕え)をします。

      藤原道隆と藤原道長は兄弟の関係であり、共に父である兼家の権力奪取に協力をしますが、父兼家亡き後は長兄である道隆が摂政・関白として力を奮います。 そのため道隆の娘である中宮定子の元には華やかなサロンが形成され、そこに清少納言も出仕する事になったのでした。

      清少納言の生まれは清原氏という歌人として有名な家柄で、曾祖父の清原深養父(きよはらのふかやぶ)、父である清原元輔という歌人を出した中で育ち、知識・教養ともに豊かな女性に育ちます。
      当然、この知識や教養といった(そうは簡単に身に付くものではない)モノを身に付けた人物の存在はその人物の集うサロンの格を高めることにもなるので、サロンの華としても、また中宮定子の教育係としても大いに期待をされたのでした。
      事実、中宮定子は当時18歳、清少納言は10歳ほど上とされていますが、中宮はこの10歳年上の女性をいたく気に入ったのか、参内直後から緊張のあまりガチガチになっていた清少納言に何くれとなく声をかけ、絵を見せるなど大いに構って気に留めていました。

      能力のある人物にとって、サロンの主、引いてはその後ろ盾の関白道隆から目をかけられることは当人に十二分な感動と共に創作意欲を刺激したことでしょう。
      清少納言は、中宮定子の問いに答える形で、いかんなくその知識と教養を発揮します。
      【香炉峰の雪】における御簾を上げる、【二月のつごもりのころ】の藤原公任への返歌、【中納言殿参りて】における扇の骨についての問答などに見られる幾多ものやり取りは、彼女のと言うだけにとどまらず、藤原道隆が主である中関白家の栄華をも間接的に体現しているものでもあったのでした。

      しかしながら、この栄華もそうは長くは続きません。関白の道隆は飲酒が過ぎることがあり、そのために急死をします。
      ここに藤原氏(北家)内部での権力争いが始まり、道隆の次兄であった道兼(粟田殿)は道隆に次いで関白に任じられますが天然痘により7日間で死亡(ゆえに七日関白と言われる)、その後は道隆の長男である伊周(帥殿)と弟である道長(大夫殿)との間での争いとなりますが、一条天皇は道長を可愛がる母の栓子に勝てず、その後は道長の方に運勢は傾き、中宮定子を支える伊周・家隆の兄弟は花山法王に対する事件で大宰府に配流され、かつて華やかだった中宮定子のサロンは衰微を辿ることになります。

      (道長の朝廷での優位が確立した後、伊周・家隆は赦されて京都に戻りますが、そこはかつての様に道長をライバル視して争う伊周の姿は無く、飄々として自己の人生を送る人物に変化をしていました。)

      その後、中宮定子は皇后定子となりますが、出産のために死亡し、清少納言も宮仕えを離れることになります。
      宮中を離れた後、清少納言は「枕草子」を推敲つつ1001年前後には完成に至ります。
      「枕草子」には、この間の伊周と道長の争いや、衰微して行くことへの恨みつらみなどは表には出てきません。
      当然、人間としてそれを思わなかったという事はないでしょうし、清少納言ほどの能力を持つ人物がそれを書けないという事もないでしょう。
      しかし、清少納言が敢えてそれを書かなかったのは、宮中という自己の能力を発揮させてくれた場所に対する”有り難さ”と、10歳以上も年下でありながら自分を慕ってくれた中宮定子への”想い出”が、自己の最後の表現の舞台となった「枕草子」の中で綺麗なままに保存をしておきたかったという強い願いでもあると思うのです。

      「枕草子」の文学史的な意義



      【枕草子】は、三つのパートに分類されると言われます。

      ①つ目は「随想的章段」と言われ、観察的な描写の部分
      ②つ目は「類聚的章段」と言われ、「○○なモノ」という描写の続く部分
      ③つ目は「日記回想的章段」と言われ、清少納言の憧れの人でもある中宮定子を中心にした宮中での様々な描写

      「枕草子」は、清少納言の理知的な雰囲気を反映してか「歯切れの良い文体」をもって極めて印象が鮮明に残る文章になっている。
      また、現実に宮中で起きた事(見聞きしたこと)をベースに自己の体験や考えをまとめた「随筆」であり「物語」という虚構世界(フィクション)とは違うという点で「源氏物語」とは異なっている。
      そして、「知的な面白さ」や「明るい(表面的な)美への意識」を持った「をかし」の文学であるとされる。