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日本医科大学:2018年:2月1日


    日本医科大学の2018年度入試の一日目(2月1日)の入試は「東山魁夷」の「」の絵画を観ての感想を問う問題であった。
    (600字:60分)

    あくまで医学部の入試問題であるから、この絵の表現上の巧拙や技法を問うモノではないのであり、「道」ということになぞらえて、これから「医師の道」へと入って行く者達の思考や決意(そしてそれに伴う具体例)を問うと理解をした方が良いだろう。

    」ということから、【進む】【立ち止まる】【引き返す】の三通りの道が考えられる。

    【進む】場合
    これから進む「医学への道」への純粋な希望と使命とに触れると良いだろう。
    もっとも、ただそれだけだとお花畑的な思考だと思われるのもヨロシクないので、この絵が遠方の方で「右に曲がっている」点から想起される事、すなわち「医学の道」における紆余曲折さや変化などに対してどうするのか?と言う事について述べる事が重要になるだろう。

    【立ち止まる】場合
    単純に、これから入る「道」において立ち止まるという選択肢(思考)は、それこそ「何で立ち止まるんですか?」という大きな懐疑を引き起こすことにも繋がるので、余り望ましいものではない。
    しかし、それでもこの路線で進むという場合には、なぜ「立ち止まらなくてはならないのか?」と言う事についてしっかりと書く必要がある。
    一例として、生徒さんの解答として、「道が舗装されていないので、道を整えないとイケナイから」ということを述べた方がいましたが、それは人生の所作というか心構えとしてはともかくも、これから「医学の道」に入るにあたっては如何なものか(様々な事に疑念を持つ事を捨てるべきではないが、それこそ入る段階から疑念を持つのも何だかと)?と言う事にもなるので、この「立ち止まる」は、むしろ遠方に出てくる「曲がり角」の部分での記述とするならば良いのではないか(とそれを答えた生徒さんには含めておいた)とおもう。

    【引き返す】場合
    それこそ、「道」があって引き返すという選択肢は、何で「医学部」を選んだのですか?という根本の部分を揺るがすようなモノなので、本当に「引き返す」という事で小論文を書く場合には、余程、答案を読む採点官を唸らせる必要があるだろう。

    まさに「引き返す」という選択肢こそ「引き返してください」という場面である。

    これが「医学系」の小論文でなければ、一つの個性として面白い部分として評価される場合もあるかも知れないが(「日大藝術学部」など)、どちらかというと突拍子も無い発想よりは、夜を照らす様な模範的な人物である事を指向する世界の住人になろうとする訳であるから、独創性や面白さを追求するのは止めた方が良いだろう。
    (そういう意味では、高村光太郎「道(道程)」のような表現として「自分が道を切り拓く」系ではあるが、実は大自然に「自らを委ねる」系のレトリックを構築出来るのであれば、ということではあるが、そこで「冒険」をするのか?という「道」の選択ではあるが)

    以上、極めて大雑把ではあるが、何気に平易な「道」を選んだ方が(医学部の入試が、なまじ、険しいだけに)良いのでは???と思う次第。


    「医学部」と「芸術」に何の関連があるのか?と不思議に(面倒に)思う向きもあるかもしれない。
    これは多分にヒポクラテスに関連があると思われる
    医学者であれば「ヒポクラテスの誓い」と言う事でいずれはお目にかかるギリシア時代の医学の祖であるが、ヒポクラテスの著作の一つである「警句集」に「人生は短く、芸術は長し」という言葉があるのだが、その本来の【医学の習得は難しいが人生は短いのでたゆまず勉強するべし】という意味が転じて「人生は短い芸術は長く名を残すので芸術に精進すべき」と言う意味を持つに至ったとされる事と関係があるのだろう。


    (ちなみに、この東山魁夷の「道」は、群馬大学の教育学部の芸術・表現系の小論文で同じく2018年に同じようにこの「絵」が出されて「私の道」をテーマとして聞かれている)