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枕草子129段:関白殿、黒戸より 品詞分解



枕草子129段:関白殿、黒戸より 現代語訳・品詞分解《前半》



    関白殿が、黒戸からご退出されると言うので、女房が隙間無くひかえている様子を、 「まぁ大層素晴らしい皆さん方達で。この老人をどんなにお笑いになっているのだろう。」と言って、(女房たちの間を)かきわけて退出なさるので、 戸に近い(ところにいる)女房たちが、色とりどりの袖口をして(見せて)御簾を引き上げると、権大納言が(関白殿の)沓を持っておはかせ申し上げなさる。 (権大納言は)大変、厳かに、美しく、威厳をもって、下襲の裾を長く引き、場所が狭く(なるくらい周りを圧倒して)してお控えしておられる。 なんと素晴らしい、大納言ほどの人物に沓を取らせ申し上げる事よ、と見る。


    ・関白殿→ 藤原道隆をさす。藤原道隆の娘が【中宮定子(後に皇后)】であり、藤原道長の娘が【中宮彰子】となる。道隆と道長は兄弟の関係にあり、摂政・関白の位を兄である道隆がが継ぐが、過度の飲酒により道隆が逝去すると、道隆の息子の伊周(ここでいう権大納言)と道長(宮の太夫殿)との間で権力争いが始まる。

    ・黒戸→ 清涼殿における女房達の控えの間。(「二月つごもりのころに」にも登場する)

    ・出でさせ給ふ→ 「動詞」+「尊敬の助動詞」+「尊敬の補助動詞」となって、【尊敬】が二つ重ねられた二重尊敬で、関白の行動なので、特に敬意を払った表現となる。

    ・さぶらふ→ 謙譲語。傍にひかえているの意味。

    ・いみじの→ 「形容詞語幹」+「の」で感動を表す表現。

    ・おもとたちや→ 女性達ではないか。「や」は詠嘆の終助詞。「おもと」は女性達を意味する。

    ・いかに➡らむ→ 「いかに」「らむ」の組み合わせで、(原因・理由が無い場合の)「どうして~~だろう」と訳す。

    ・出でさせ給へば→ 前述の「出でさせ給ふ」と同じく、【尊敬】が二つ重ねられた二重尊敬。「ば」は【已然形+ば】で「~~なので」「~~だから」と訳す。

    ・袖口「し」て→ 女房達の袖口が色々な色である事。

    ・御簾→ 【みす】と読む。

    ・御沓→ 【おんくつ】と読む。

    ・はかせ奉り給ふ→ 主語は「権大納言」で、「権大納言が~」と訳す。権大納言の行為であるので、「せ」が尊敬の様に思われるが、その様にすると、権大納言が自ら沓をはくことになってしまって【偉い人は自分でしない】事と矛盾するのでおかしい。権大納言よりも偉い「関白殿」に沓をはかせると言う意味で「使役」+「謙譲」を組み合わせ、その権大納言の行為に敬意を表するために「給ふ」と言う尊敬語を付けた構造。

    ・所せくて→ 直接的には「狭い」となるが、「はづかし」の様に「こちらが気後れするくらい〇○」と言う意味で使われる。

    ・さぶらひ給ふ→ 「謙譲語」+「尊敬語」。権大納言が関白殿を待つ場面であるので、「関白を待つ行為(謙譲)」+権大納言それ自体への敬意(尊敬)と言う構造になっている。

    ・あなめでた→ 「感動詞」+「形容詞語幹」で感動を表す一つの組み合わせ。

    ・大納言「ばかり」→ 副助詞「ばかり」。程度や比較を表す。権大納言の様な立派方にまでもと言う意味

    ・とらせ奉り給ふ→ 前述の「はかせ奉り給ふ」と同じ構造。「本動詞」+「使役の助動詞」+「謙譲の補助動詞」+「尊敬の補助動詞」。


枕草子129段:関白殿、黒戸より 現代語訳・品詞分解《後半》



    山の井の大納言や、それに次ぐ官位のそうでない方々(関白の身内でない方々)が、 黒いものを散らした様に、藤壺の塀の始めから、登花殿の前まで、居並んでいるところに、 すらりと大層優雅に、御佩刀などをお取り直しになって、たたずんでいらっしゃると、 中宮の大夫殿は、戸の前に立っておられたので、 お座りなさらないおつもりだろうと思っていると、 (関白殿が)少し歩き出されると、ひよっとお座りなさった事は、 やはり、どれだけ前世における功徳を積まれたの(であろうか)と、見申しあげたが、なんとも素晴らしいものであった。

    ・さならぬ人々→ ”そうではない人々”と訳すが、関白道隆の親戚ではない人々と考える。

    ・藤壺→ 【ふじつぼ】と読む。



    ・ゐなみたる→ 「ゐなみ」「たる」で、”整列している””整然としている”と言う意味。また「たる」と連体形で終わっているので「所」や「場合」などの意味を下に沿えると良い。

    ・御佩刀→ 【みはかし】と読む。

    ・ひきつくろはせ給ひ→ 「ひきつくろふ」は”身だしなみ直す”の意味。「せ」+「給ひ」で「尊敬の助動詞」+「尊敬の補助動詞」の二重敬語(作者から関白殿への敬意)。

    ・やすらわせ給ふ→ 「やすらふ」は”たたずむ”の意味。「せ」+「給ふ」で「尊敬の助動詞」+「尊敬の補助動詞」の二重敬語(作者から関白殿への敬意)。

    ・立たせ給へれば→ 「本動詞」+「尊敬の助動詞」+「尊敬の補助動詞」+「完了の助動詞」+「接続助詞」。二重敬語なのは、関白殿だけではなく、宮の太夫殿も関白殿と並んで身分が高い事を示す。「れ」は完了の助動詞であるが、接続が特殊なので要注意(サ変の未然形・四段の已然形に接続する:「り」「か(んりょう)」「サ:未」「四;已」)。ここは「命令形」に接続をしているが、「命令形」に接続するとの説もあり。

    ・★1→ ワ行上一段・未然形。「ゐ」で”座る”の意味があるが、ここは関白殿への敬意と言う事から”ひざまづく”と訳すものもある。

    ・★2→ 「断定の助動詞の連体形(撥音便)」で「ん」の表記が省略されたもの。「なるめり」→「なんめり」→「なめり」。

    ・ゐさせ給ふ「まじき」なめり→ 「まじき」と「打消し意志」が使われているので「~~しないつもり」と訳す。(宮の太夫殿の行為)

    (※ この後、二重尊敬の表現が出てくるが、【関白殿(道隆)】と【太夫殿(道長)】の行為にはそれぞれ二重尊敬になっているのに対して、【権大納言(伊周)】には二重尊敬の描写が無い事も注意。)

    ・あゆみ出でさせ給ふ→ (関白殿の行為)

    ・「ふと」ゐさせ給へりしこそ→ 「ふと」は「すくっと」などの動きを表す副詞。(宮の太夫殿の行為)

    ・ゐさせ給へりしこそ➡いみじかりしか→ 【係り結び】であり、「こそ」➡「已然形」

    ・昔の御おこない→ 古文特有の考え方として、「前世からの因縁」と言う考え方がある。これは、現世の良し悪しは前世での行動によって左右されると言う考え方である。関白殿がお出ましになる際の描写や、政治的な対抗馬でもあった宮の太夫殿までもひざまずく、当に権勢の絶頂期にあるこの場面は、関白殿の素晴らしい運命を示したものであって、これは「前世での功徳」によってもたらされたものと考えられていたのである。

    ・「に」「か」→ 「断定の助動詞」+「係助詞の「か」」。この後には「あらむ」などが省略されている事が多い。(他に「に」「や」と言う組み合わせもある)。係助詞「か」であるから、【係り結び】により「あらむ」と「連体形」になっている事に注意。

    ・見たてまつりし→ 「本動詞」+「謙譲の補助動詞」+「過去の助動詞」。これは、作者である清少納言が「見た」(見もうしあげた)ので、謙譲語が使われている。

    ・いみじかりしか→ 「いみじ」は「素晴らしい」と訳すが、先の「こそ」➡「しか」と【係り結び】となっている事から、やや強調して訳して作者の驚きを表す表現となっている。