徒然草の作者である( ① )は( ② )時代から( ③ )時代にかけて活躍した人物であり、三代随筆の作者の中では一番遅い時期の人物である。
徒然草における中心的な思想である( ④ )は、当時の仏教思想を色濃く受けたものとも言え、
この「家居のつきづきしく」においても家を飾り立てる事の無意味さについて触れている。
また文中に「さてもやは」「何かはくるしかるべき」と反語表現を用いるなど、当時の教養人として和漢混交文を意識した体裁ともなっていると共に、
この作中に登場する後徳大寺の左大臣、西行ともに百人一首に採録されている(後徳大寺:81番・西行:86番)点にも注目したい。