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竹取物語:「かぐや姫の昇天(天人の中に、持たせたる箱あり。~)」のテスト問題の解答


    (1)

    イ)おんくすり ロ)おんぞ

    (2)

    イ)じれったい・きがかりに思う

    (3)

    イ)使役の助動詞「せ」の連用形+存続の助動詞「たり」の連体形

    ロ)どちらの「入れり」の「り」も存続の助動詞「り」の終止形。

    ハ)天人の中に、持たせている箱がある。(その中に)天の羽衣が入っている。また、ある(箱に)は不死の薬が入っている。

    (4)

    イ)存在の助動詞「なり」の連体形(通常であれば「なり」は断定とする場合が多い。しかし、この場合の様な「名詞」「なる」「名詞」となる際に「~~にある」と言う存在を表わす役割を持つ)

    ロ)尊敬語(本動詞) 天人→かぐや姫 (「奉る」は本動詞の場合と補助動詞との場合とで意味が異なるし、尊敬の場合と謙譲の場合とでも意味が異なる。尊敬の本動詞の場合には「食べる」「乗る」「着る」の中から考えるが、 今回の場合には「薬」が対象であるし、命令形になっているところから「お飲みください」となるところだろう)

    ハ)尊敬語(本動詞) 天人→かぐや姫 (「聞し召す(きこし召す)」は尊敬の本動詞しかなく(「聞こゆ」「きこえさす」と区別すること)、「たべる」「聞く」の意味を持つ)

    ニ)形容詞シク活用の「悪し」の未然形+推量の助動詞「む」の連体形(「悪し」が未然形ではあるが補助活用をしているのは、下に助動詞「む」が来ているから。 助動詞「む」は下に体言「もの」が来ているので本来は婉曲であるが「~~のような」と補って訳すのが難しいので推量と考える。※もちろん、これを「婉曲」と解するものもあるので、最終的には学校の先生の理解に従うべきだろう)

    ホ)一人の天人が言うには、「壺に入っているお薬をお飲みください。穢れた場所(人間世界)のものを召し上がっているので、お気持ちが悪いでしょう。」と言って、持って近寄ってくると

    (「きこしめしたれば」の「たれ」は完了ではなく、存続と解する方が無難か。已然形なので完了と考えるのが普通でもあるが、「食べた」とするのか「食べている」とするのかのニュアンスの違いでもあるだろう。
    また、「悪しからむ」は形容詞「悪し」+推量の助動詞「む」で「悪いだろう」と訳したい。婉曲とすると「悪いような」となるので少々苦しい)

    (5)

    イ)尊敬語(本動詞) 作者→かぐや姫(ここは地の文なので、自動的に作者からとなる)

    ロ)使役の助動詞「せ」の未然形

    ハ)(かぐや姫は)少しおなめになって、少し形見として、脱いで置いた衣に包もうとすると、そこに居る天人は包ませない。(天人は)天の羽衣を取り出して着せようとする。

    (「少し」「少し」と続くのが気になる場合には「少々」などと直すのもありだろう。「包まむとすれば」の「ば」は已然形+「ば」であるが、原因・理由ではなく、「~すると」と言う偶然条件にあたるだろう) (6)

    イ)体言(衣)+下二段動詞「着す」の連用形+完了の助動詞「つ」の連体形+体言(人)(「つ」の下に体言(人)が来ているにも関わらず「存続」ではなくて「完了」とするのは、天の羽衣を着ていると言う意味よりも「一回でも着たら」と言う事だろう)

    ロ)体言(心)+形容動詞ナリ活用の「異なり」の連用形+四段動詞「なる」の終止形+伝聞の助動詞「なり」の終止形

    (「なる」が四段動詞なのは争いがないが、これを「終止形」と考えるのか、「連体形」と考えるのかで後ろの「なり」が変わってくる。すなわち、「終止形」+「伝聞・推定のなり」か「連体形」+「断定のなり」かの違いである。 意味的には、かぐや姫が「天の羽衣を着ると心が変わると言う事を聞いている」の方がしっくりくるが、ここも最終的には学校の先生の理解に従った方が良いだろう)

    ハ)当然の助動詞「べし」の連体形

    ニ)その時に、かぐや姫は「少し待ちなさい」と言う。「衣を着せた人は心が人間と違うと言う。物をひとこと言って置かねばならない事があった。

    (7)

    イ)尊敬語(補助動詞) 作者→天人

    ロ)のたまひ(「のたまふ」の連用形で本動詞) かぐや姫→天人 

    ハ)そ ( 「な」+「連用形」+「そ(禁止の助詞)」で「~~をしないで欲しい」と言う意味 )

    ニ)奉り(謙譲語:本動詞:作者→朝廷(帝))たまふ(尊敬語:補助動詞:作者→かぐや姫)

    (この「奉りたまふ(給ふ)」は二方面敬語と呼ばれるもので、かぐや姫が手紙を帝にさしあげると言う行為に対して、 「手紙を受け取る帝」(奉り)と「手紙をさしあげるかぐや姫」(たまふ)と言う二つの行為に分けてそれぞれに敬語を附したものである。
    かぐや姫は偉い、しかしそれ以上に帝は偉いと言う「貴人(偉い人)」同士の序列に関わると言う背景があるためであろう。
    類似のものとして「二重敬語」と言うものもあるが、それは「せたまふ」の様に「尊敬語」+「尊敬語」と尊敬語が二つ重なる場合であるから二方面敬語とは異なるので 注意したい)

    ホ)天人は(かぐや姫が)ぐずぐずしているとじれったがっておられるが、かぐや姫は「ものの道理(情理)を解さない事をおっしゃいますな」と言って、たいそう静かに、 帝にお手紙をお書きになる。慌てずに落ち着いた様子である。