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開成中学の過去問から


    例えば難関校と言っても幾つもあるが、やはり(関東では)御三家と呼ばれる学校が頭に浮かぶ事だろう。
    その中でも筆頭は「開成中学」という事になる。

    では、この「開成中学」に向けて何か対策を講じるとなった際にどうしていくか?

    少々斜め上からの攻撃になるが「東大の国語(現代国語)」の問題を分析していくべきだろうと。

    もちろん、この”分析”と言うのには、(出来るならば)問題を実際に解いてみるという事でもある。

    なぜならば、おしなべて私立中学・高校と言うモノは設立の目的や趣旨と言ったものが背景にあるのであって、それらの目的の実現に適う生徒を集め、教育をして、そして卒業へと送り出すのである。

    そして「開成」の場合には、言わずと知れた「東大の予備機関」という事になる。
    これは色々と時代や潮流の変化によって濃淡はあるだろうが、しかし、意識しようがしまいが、明治以来の設立の伝統と言うモノはそうは揺るがないというものだろう。

    当然、そうなれば、「東大」の入試問題を常日頃から意識する人間達が作問をする【中学入試問題】ということになるのであるから、いきおい問題解法や根底の問題意識の上で似たような傾向になって来るのはある種の必然とも言えるのである。

    では、実際に「東大」の「現代国語」の問題はいかがなモノなのだろうか?
    正直な話、問題を見て、設問を見る限りでは、「天下の東大」という風情の難問・奇問などとは見受けられない。
    むしろ、拍子抜けするくらいにアッサリとしている。

    では何が東大らしいのか。
    一言でいえば、【解答】や【表現】におけるバランス感覚ということに尽きるだろう。
    選択肢の問題は”たまたま当たる”ということはあるだろうが、記述の問題では”論点”を理解した上で”適切に表現する”ということに”まぐれ”は発生し辛い。
    記述問題の厄介な点は、語彙や表現力ということに加えての全体的なバランス観が必要だということにある。

    かつて、東大を狙っていたとある女子に東大生の特徴を聞いてみた事があるが、その時に返って来た返答は「まるで(ドラえもんの)出木杉君の様な人」というものだった。

    なるほど、まさに【言い得て妙】なその表現を出来る彼女は、その後、幾多の困難を乗り越えて東大の地を踏み、今は霞が関で高級官僚として活躍をしている。

    無理の無い、そして奇を衒わない、誰にも分かる表現というのは、実は存外に難しい。
    「東大」が求める人材(国語力)というのは、そのバランス感覚にある。
    であれば、当然、その「東大」に向けての予備段階(予備校)という位置づけでもある「開成中学」においても、求められるのは、難しい難解な語句や表現ではなく、実は平易な言葉や表現で答案の上に求められている事に答えられる人ということになる。

    「開成中学」を目指す上で、何か良い教材は無いか、あるいは過去問も何も解き尽してしまった……などと言う向きには、是非ともお薦めしたいのがリアル東大の現代文まさにそれなのである。
    (実際に、開成を受ける人の頭であれば、特に東大の入試問題が特別に難しいなどとは思わないだろう。違う意味でその解答のバランス感覚に悩んで”難しい”と思える小学生は、またそれはそれで素質があるというべきでもある。)