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”深く考えているか?”:問題を見てすぐ「分からない」という子 (2019年10月)



    問題を解いた後での間違いを直す、あるいは「分からないところ」を教えるという中で、問題を見て、直ぐに「分からないという子がいる。

    その発言の意図が、「習ったことが無い」ならば未だ良いのだが、それを越して「文章が長いので面倒くさい」とか、「解説だけを聞いていれば良いや」と思っていると非常に強敵である。
    一つの理由としては、”中学受験生生活”も長くなると、疲労が蓄積したり、やる気が喪失したりという状況に陥ったりもして、「その場をやり過ごす」という事に努力を傾けるようになってしまう場合があるからである。

    こういった場合には、しっかり問題を読んでいるのかを確認する上で、問題に何が書いてあるのかを説明してもらっている。
    もちろん、そうは言っても”相手”もシタタカなので、こちらが求めている様な”内容”ではなく、単純に問題文の字面を細切れにして読んでいるという事をする場合もある。
    また、それは本人が意図しないで何時もその様にして問題を解いているという事もあるのだろう。
    いずれにしても、「問題文」や「設問」の中から条件を見つけ出すという力は弱いということになる。

    この状況は特に目新しい事でもなく、昔から居たのだが、最近は、かなり幅広く見受けられるようになって来た。

    問題をオウム返しするという、古人の表現は、それこそ非常に的確だと思うのだが、こちらは”オウム”では無く”人間”なので、この様な状況であっても何か方策を考えて行く必要がある。
    とは言え、この問題についての解決策などと言ったところで、終局的には自分で探す能力の育成でもあるので、「何かを解説する」というのもまた違ってきてしまう。

    ①:本来は、探す能力はあるが、「面倒くさい」とか「やりたくない」という場合には、その人に合った方法(時間を区切ってちゃんと出来たらご褒美をあげる、勉強を一休み、などを明確にした上で、ちゃんと「問題文から条件を探せるか」に取り組んでもらう)を積み重ねる。

    ②:①とは違って、今まで問題文の中から探すという作業を余りしないでスル―して来て慣れていない場合には、そのやり方(道筋)や手順といったものを使って問題を解くという事をしっかりと認識をしてもらうという事を繰り返す。

    (この②の場合には、①の場合とは異なって、やり方や手法をマスター出来ればそれは次からは処理も早くなるが、どうやってそれを使いこなすかに至るまで、結構な時間をかけて問題を解いて行く必要があるので、どうやってその時間を作るのかというのが課題となる。)

    (逆に、①の場合には、本人の”気分”という厄介な問題でもあるので、それとの対峙となる。)

    こういった場合に、教える側からすれば、「ちゃんと文章を読みましょう。条件を読みましょう。そこだけ読んでて良いのかな?」という質問を繰り返す事になるし、場合によっては、相手からの堂々巡りの同じ解答を何度も訂正しながら、誘導にならないように問題文を読んでもらって気が付くという事をしていく必要があり、それにめげずに見守っていく事になる。