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日本医科大学:2013年:


    日本医科大学の2013年の小論文は、友人AとBとでテント村に止まっている際に川が増水し、「一定時間後に放水することが決まり避難を促す旨」のアナウンスがあったが、Bは熟睡しており、Aが起こした際に「もう少し寝てから自分で避難する」と言ったためにAは一人で避難をしたが、Aが避難所について直ぐに放水が前倒しで決まったという事について述べる問題であった。
    (600字:60分)

    この様な事例問題の場合には、事例の整理とともに、人間関係の整理をすることが重要になる。
    今回の設問には人間関係の属性が与えられていないので、「場合分け」をして考えていく事が望ましい。
    その際、特に医学部だからと言う訳ではないが、「医師」と〇○などと設定をすると分かり易い部分も出てくる。
    この設例の場合に、Aを「医師」と設定した場合に、友人Bとの状況を改めて考えなおすと、「川の増水に伴う危険に対するBの承諾」=「予測され得る危険に対するBの承諾」という点が浮かび上がってくる。

    この設例が「承諾」のことを扱っているのは分かったとして、次にこのAがBを放置して一人で避難をしたことの評価を考えることになる。
    Aは一人避難をするに当たって、何もせずに離れたのではなく、Bを起こして危険が到来することを告げた上でBの意志を確認している。
    それに対してのBの返答は「もう少し寝てから自分で避難所まで行く」というものであるから、このBの返答に「承諾(合意)」としての効果を認めることが出来ることになり、Aの行動(避難)には何の問題も無かったということになる。
    これは、憲法における「自己決定権(憲13条)」の一つの帰結ということになる。

    もっとも、この自己決定権が働くのは、Bが正常な場合が原則であって、この設問のように「熟睡」していた場合の評価は違ったものになるのではないか?という問題も出てくる。
    確かに、Bの状態を考えると微妙な状態ではあるが、実はA自身も増水に伴う危険に晒されているのは変わらないのであり、自分の身を守る権利を有しているにも関わらず、それを超えてAをしてBを助けるべき積極的な行動(作為)が求められるというのは、AとBとの関係においてAが保護すべき(或いは Bが保護されるべき)関係があると言える特殊な状態が必要である。
    すなわち、AがBの身体・生命に対しての何らかの法律的な義務があるという場合になってくるのであって、「単に友人」というだけではその義務を負わせることは難しい。
    では、Aが「医師」であった場合には、危険を侵してまでBを助ける義務があるのであろうか?
    この場合もAがBを助ける義務は原則としてはない。
    なぜなら、ここで問われているのは「医療行為」についてでは無いからである。

    この様な問題の場合に、どうしても「なぜBを助けないのか?」という話は出てくるが、感情論としてはともかく、また「医業」に就こうという人の熱い想いとしてはともかくも、そこに「義務」や「(法的な)責任」を持って来るのは難しい。
    相手側の同意の問題は、憲法にいうところの「自己決定権(憲13条)」の問題としての個人の人権の伸長の結果ではあるが、逆に言えば、その事に伴う「医療過誤訴訟」などの問題も生じてきている。
    当然、「医療」には高度の裁量性が許容されているが、その「医療上の判断」と、もう一方の「法律上の判断」とがせめぎ合う場面は従来よりも増してきている。
    専門的な事は大学に入ってから当然触れるのだけれども、その事を受験生にも意識として持ってもらいたいというのもこの小論文の狙いの一つであるだろう。
    「字数的に600字:60分」という中で書ける事はたかが知れている。
    その中であれこれと書く事は難しいわけで、その中で何に力点を置くのか。
    「意見」を述べなさいとはあるものの、そこには自己の一方的な主張だけではなく、バランスをとった内容を心がけて欲しいと思います。
    (生徒さんの中には、「自分ならBを背負ってでも避難する」という方もいましたが、それは心がけとしては大いに良いのですが、これを答案に書いてもポイントから外れる事になるので、Bを救いたいという気持ちの部分の表れは、「Aには義務は無いが、それでも何かAに取りうる手段は無かったか?」という部分を少し掘り下げて書くという事に転化した方が良いと思ったりも)