このページを Google Bookmarks に追加

数寄の道=好きの道


    古文の中では「風流である」と言う意味を表す単語は幾つかでてきますが、 その中でもちょっと上級の単語が「数寄」と言う単語でしょう。

    元々は「好き」と言う意味が進化して「数奇(すき)」と言う言葉になりました。
    「好き」と言えば、「色好み」「恋愛」と言うキーワードが思い浮かびますが、その関連で「在原業平」などを連想してくれると
    「好き」→「色」→「恋愛」→「在原業平」→「和歌が巧い」→「才能豊か」→「風流」

    やや、強引過ぎる展開ではありますが(「ヤドン」→「ヤドラン」or「ヤドキング」くらいにして欲しかった) 「好き」→「風流」と言う意味を持つようになった訳です。

    さて?では「数奇」とは何ぞやと言う事になりますが、「連歌(れんが):和歌の発展した形態」に打ち込む事を「数奇」と言ったようで 、先ほどの「風流」と言う意味合いとの関連で「好き」=「数奇(すき)」となったものと。

    これは、後年、「茶の湯」に傾倒する人の事を「数寄者(すきしゃ)」と言う様に転じますが、これもまた「風流」と言う意味が背景にありますが、 同じく「数奇な運命」とすると、これは「すうきなうんめい」となって「不思議な(激しい移り変わりの)運命」と言う事でまったく違う意味になってしまうので、 「読み方」も含めてしっかりと違いを覚えてください。(老婆心ながら)

    いずれにせよ、古文では「数奇」=「風流」(和歌を始めとした文化的な事で)と理解をしてください。
    そして、「色好み」は「恋愛」の極みと言う事で「洗練された恋愛をする人」と言う意味で使われていると言う事を区別してください。

    「在原業平」が中間項になっているとしても、ゆめゆめ混同しないように。