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男性が女性の家に行っても女性が男性の家に来ることはありません


    今でこそ、”女性が男性の家に押しかけちゃった”とか”肉食系”などと女性の積極さが喧伝されている御時世ではありますが(?)

    古文の時代では、「ほとんど例外無く」女性が男性の家に来ると言う事はありませんでした。

    それを聞いて、何と思われるかは各自の価値観如何と言う事でもありますが

    兎に角、昔は男性が女性を追いかけるもの→女性は男性から逃げるもの

    男性が何もしない→女性は(ひたすら)待つもの(「和歌付きの手紙」は出す)

    と言う価値観の下で色々な事が繰り広げられていました。(ただし、院政開始まで頃)

    ①:通い婚(妻問い婚)

    一番有名なのが、この「通い婚」でしょう。
    要するに、男性が女性のところに通ってきている内が「婚姻中」と言う考え方で
    もっとも現実的と言うか事実面に着目したシステムでもありました。

    そして、これは「恋愛」(正直、恋愛と婚姻が微妙なのが古文世界と言う気はしますが)でも同じで
    ”また、その男性がやって来るのか?”と言う事が一番重大な問題でもありました。
    (色々は、例によって「源氏物語」が実例豊富ですが、センター試験もさりげなくその手の出題がされています。2000年の本試験「宇津保物語の俊蔭」など)

    しかし、時代が下ると、男性と女性が一緒に住むと言う事も出てくるようになります。
    先ほどの「源氏物語」の場合も、源氏の妻たちは六条院と言う屋敷で源氏と共に暮らしています。
    それぞれの女性たちは「春の町」「夏の町」「秋の町」「冬の町」とそれぞれに区分けされた敷地に住んでおり、これを同居と見るか、 行き来可能な距離を縮めた通い婚の究極の形と見るかは別ですが、少なくとも源氏と紫の上が一緒に春の町に住んでいた事を考えると、通い婚への意識が変わって来ていたのかも 知れません。

    また、時代は下りますが、早稲田大学で出題された「問わず語り」などでは、 作者である後深草院二条が、後深草上皇の寵愛を失って御所から出ていけと言われる回想シーンや、 東大の2006年度文理共通では、「新しい妻を迎える事になって、古い妻を出ていかせる」シーンが出題されていて、
    「通い婚(別居婚)」から「同居婚」にシフトしてきた事が窺えます。

    ②:子供は妻の実家で育てる

    「通い婚」と言う事で、奥さんが家から離れないとすれば、当然生まれた子供の養育は”妻の実家”で行う事になります。
    この「通い婚」+「子供の実家での養育」を「日本の母系社会構造」に起因すると言う考え方は理に適っていると思いますが、
    妻の実家で育てられると言う事は、当然、実家の父・母の影響力が発揮されるのであり、かの摂関政治で、 何故に天皇が外祖父である藤原氏にさして反対をしないのか?(出来ないのか?)と言うのは、生まれた時から妻の実家にいるからと言う 非常に単純な理由が大きかったと思われます。

    ③:女性の生活費は実家の負担

    当時、貴族階級の女性が働くと言う事は殆どないわけで、男性が通っている間(男性が興味のある間)の生活費は男性が負担をしてくれますが、 その男性が通わなくなればたちまち生活に困窮してしまいます。
    この場合は、女性の実家が生活費の負担をしたのであって、女性の実家が没落していたり財産が無かったりすると、その女性は半ば遺棄の様な感じで ひっそりと棲息すると言う事態に陥ります。
    (「源氏物語」に出てくる「末摘花」などは、そういったキャラクター設定となっており、家はあばら家であるが、黒貂の毛皮を持っていたりすると言う事から、 父親が健在だった時と亡くなった後の生活の落差などが窺える)
    (また、上述の「宇津保物語」の「俊蔭」も父親亡き後に零落した女性がヒロインとなっている)