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貴族の手紙のやりとり


      「手紙のやり取りには誰か他の人が入ります」と聞けば、この御時世ではウエッと思う方が大半でしょう。


      LINEやメールなど、相手とコミュニケーションをとるツールが流行った(浸透した)のは、自分と相手との直接性(ダイレクトさ)と言う部分が大きいと思います。

      しかし、これはそれを支える技術的な進歩があってこそであって、そんな気の利いた(文明の発達していなかった)ものが無い古文の時代には 「お手紙」が一番のコミニュケーションツールと言う事になります。(だからこそ、さらっと31文字で伝わる和歌が重宝された訳でもありますが)

      これは、「偉い人は自分で動かない」と言う事に通じますが、当たり前ですが、当時の貴族が自分で相手の家に行って手紙を投函する……などと言う事はありません。
      かならず、偉い人(貴族)の部下である男性が手紙を運んでくれます。

      他方、手紙を受け取る方はどうでしょう?

      こちらも、女性(貴族)がいそいそと出てきて手紙を受け取ると言う事はありません。
      やっぱり、こちらでも、この女性(貴族)に使える女性がいて、その女性が手紙を受け取って主人である貴族の女性に渡します。

      男性(貴族)→男性(部下)→女性(部下)→女性(貴族)   (行き)

      女性(貴族)→女性(部下)→男性(部下)→男性(貴族)   (帰り)

      (もちろん、これは女性から手紙を出す場合も同じです。「建礼門院右京大夫集」に出てくる「宰相中将の思い出」などは女性から→男性の場面ですね)

      そして、この間に立つ(中間管理職的な)男性と女性との間でのやりとりが生じる
      と言うパターンになる、と。
      この場合に、そもそも、その話に出てくる貴族の男女間で「上手くいっている」場合ならば、オハナシにも(入試問題にも)ならない訳で
      当然、上手くいっていないのを何とかしようとして、部下の男女間が色々と動くと言うのが、一つの古文の入試問題でのパターン

      これは、センター試験でも散見しますし、通常の入試でもあちこち出ていて(先の「建礼門院右京大夫集:宰相中将の思い出」などはある意味頻出) 是非とも押さえておきたい事例の一つです。なぜならば、登場人物が最低4人は出てきますから、主語の確定が大変、と。(東大の入試で出題された「住吉物語」も、その系統ではありますね)

      なお、「貴族」では無くて、「庶民」はどうする?と言う事にも触れておきますが、
      「一般人」の方も自分で手紙を渡さない法則は発動しています。
      当然、貴族のように人件費をかけられる筈もないので、間を介在するのは一人だったりしますが、やっぱり自分達では直接やりあわず。 (厳密言うと、手紙のやりとりはしないが、和歌を当人同士で直接詠むと言うのはあるので、貴族の場合より確率の精度は落ちると言う事になるかもしれません)
      (入試問題としては、東大の二次試験で「庶民」ベースのお話は出て来ていましたが)