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「夢」と「うつつ(現実)」


      古文の時代の人にとって「夢」は将来の事を顕す”予知夢”として感じられる事も多かったようです。

      もちろん(?)今でも夢占いとかをネットで探れば幾つも出てきますし、 人間の行動や心理を夢と結び付けて考える”フロイト”や”ユング”と言った巨人の方々の研究もございますが、
      例にもれず、昔も夢を見た!と言う事に対して夢解き(夢の意味を占う)と言う事が行われていたようです。

      この「夢」が有名なお話として、自分の夫が出世をする夢を見た「藤原倫寧の女(右大将道綱の母:蜻蛉日記の作者)」のお話。
      時代は下りますが、自分が出世する夢を見た「北条政子」のお話。
      (そして、日記の中に自分の「夢」ばかり書いていた「菅原考標の女(更級日記の作者)」)

      などなど。

      蜻蛉日記の作者の場合は、夫である藤原兼家(藤原北家:藤原道長・藤原道隆の父)が太陽と月を従えると言う夢を見た際に、 夢解きに聞いたところ、夫である兼家が天下を決定出来る高位高官に昇ると言う事であると告げられた夢(実際に藤原兼家は摂政・関白に昇る)

      北条政子の場合は、自分が日輪(太陽)を召す夢を見て、自分は天下を取る人の妻になると確信したと言う夢(実際に、北条政子は初代武家政権を開いた源頼朝の妻となる)

      更級日記の作者の場合は、予知夢と言うよりは、「自己の空想の世界」としての「夢」として幻想世界をイメージしておりました。

      などなどですが、「夢」が出てきたら、登場人物と文章中にある他の登場人物との関係を考えて見ると良いでしょう。
      当時は、夢の中に他の人が現れるのは、その人が夢の中に入って来たからと言う考え方があったからと言われています。

      「夢」の話は”不思議の話”と通じますが、先の北条政子の夢などは中央大学の入試問題などにも出題されているので、ある意味出しやすい分野であるとも言えます。