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在原業平と伊勢物語





    ・在原業平(ありわらのなりひら)は、桓武天皇の子孫に連なるが、祖父である平城天皇(へいぜいてんのう)が弟である嵯峨天皇に譲位した後に復位を画策して「薬子の変」(あるいは「平城太上天皇の変」)を起こしたために皇位継承からは離れた存在になったため、「在原」姓を賜り臣下となった。

    ・歴史書である「日本三大実録」によれば「業平体貌閑麗、放縦不拘、略無才学。善作倭歌」(なりひらたいぼうかんれい、ほうじゅうにしてかかわらず、おほむねさいがくなし。よくわかをつくる。)とあり、「遊び人」であり、「和歌」が上手いが「学問はない」とされる。
    ここの「才学」は、当時は「漢文」を重要視していることもあり、「学問が」というよりは「漢詩文」が巧くなかったと言う意味であろう。




    ・全125段(1段目は「初冠」、最終の125段は「つひに行く道」)

    ・各章段の書き出しは「昔、男ありけり」でほぼ統一されている。

    ・各章段は、その章段の主題と関係のある和歌を中心にして書かれており(それゆえに歌物語)、地の文は説明的な詞書きでは無くて、歌を引き立てる様な散文になっている。

    ・「男」とは有原業平をモデルとして、その男の一生について書かれたものとされる。

    ・「男」は地位や権力からは疎外されており、不遇・失意の生活を送っているが、それがゆえに(かえって)自由な人生を求めるものとなっている。

    ・「伊勢物語」を貫く考え方は「みやび」とされる。