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何で漢文の勉強をするのか?


    毎年、生徒から受ける質問の一つに「何で漢文の(古文の)勉強をするのか? 英語は将来使う事があると思うが、今、日常で使われていない漢文(古文)をやっても仕方が無い」と。
    この手の質問の背後には「勉強したくない」と言う動機があって、単純に屁理屈をこねているだけに過ぎないので
    答える側も「何をツマラナイことを? だってテストがあるだろう。中間や期末はどうするの? 現実に点数を取れてないからそんな文句が出るんでしょう? いいからやりなさい」と言う一言の下で切り捨てられることになる。
    もちろん、これが生徒さんの真摯な問いから出ているのであれば、色々とその疑問の応えるべく回答をするのだが(笑)
    その回答と言うか、模範的な回答として一つの内容がセンター試験の2014年度本試験の第1問と言う事になる。
    実際の内容はネットで拾うか、書店でセンターの過去問を見て頂ければ良いと思うが
    そもそも漢文と言うカテゴリーは、日本の歴史と深いつながりがあるのは言うまでもない。
    遣隋使・遣唐使を始めとして危険を冒して海を渡ったのは当時の先進的な制度・文化他諸々を摂取するためであったわけで、当時の為政者や仏教関係者は「漢字でのやりとり」が出来る事が普通の素養として求められていた。(三筆と言われる嵯峨天皇・橘逸勢・空海が挙げられるのもそれと無縁では無いだろうし、嵯峨天皇の勅撰漢詩集が「凌雲集」であるという事も当時の日本における漢文の地位を物語るものであろう)
    その後、894年に菅原道真によって遣唐使が停止され、その後に国風文化のきっかけを作った…と言う事も言うまでもないだろう。(むしろ、漢文学者であった菅原道真によって真名(漢字)から仮名(かな)へのきっかけが作られた事を奇貨と思うべきだろうか)
    そして、国風文化が花開いたとしても漢字そのものを廃止するとか廃れてゆくという事もなく、漢字・漢文でのやりとりは継続していった。
    それは、日本の外国との交流がほぼアジア圏であったという事に起因する部分が大きいが、とにもかくにも漢字・漢文というジャンルは継続していったのである。
    さて、歴史は進むが漢字・漢文の役割に変化は無く、時代は江戸時代に到達する。
    ご存知の通り「鎖国」(この「鎖国」と言う言葉も今後どうなるかは知りませんが(笑))を敷いた江戸幕府が重視したのは、何よりも君臣の上下であり、秩序の維持であった。
    その事をして「儒教」特に「朱子学」が江戸幕府の中心的な学問になっていく中で、日本における「漢文」と言うカテゴリーは成長・発展をしていった……と言うのがセンター試験でも触れるところではある。
    (そもそも朱子学は南宋の朱熹が説いた学問であるが、当時北方の異民族に劣勢の立場におかせられた南宋における世界観や中華秩序と言うものが背景にあり、そこには独特の「大義名分論」がある。本家の中国における朱子学の扱いは変遷があるが、何故に鎖国体制下の江戸幕府が朱子学を重視したのかは色々と見解も分かれるが、個人的には宋朝の科挙制度と身分秩序の維持により君主独裁制を目指した事が大きかったの だろうと推察する。)
    その後、明治維新を経て広く外国の進んだ技術・制度・文化を吸収する必要に迫られた日本ではあるが、その過程において、どのようにして日本人に外国の事を理解させるのかと言う文脈において、西周や森鴎外・夏目漱石などによって様々な訳語が作られる事になるが、その際に中心的な役割を果たしたのはやっぱり「漢字」であったと言う点であろう。
    それは、漢字が広く日本人に通用する文字であったという事でもあるが(庶民は寺子屋での学習の成果であろうし、武士はそれこそ2014年度のセンター試験の触れる通り「武」と「忠」の現れと言う事になるのだろう)、裏返して言えば、漢字を通してでなければ日本人特有の心情や理解に浸透させる事が出来ない程に漢字は定着していたという事ではないだろうか。
    そして、「和魂洋才」と言う言葉に代表されるように西欧の文物を使いこなしつつも日本人としての考え方や心情は維持したいという事も「漢字」「漢字文明」を存続させたとも言える。
    また、古来より中央集権国家と「官僚制」とは切り離せない「不即不離」の関係であるとも言えるが、明治政府の採った官僚制(高等文官制)を支えるための帝国大学の存在は非常に大きなものがあったといえる。
    なぜならば、「官僚(役人)」としての能力や心得には、単に学業が優秀なというだけではなく、それと共にある種の教養と言ったものも求められていたと思われるからである。
    その辺は、エリートとは何ぞや?と言う問いでもあるのだろうが、君主独裁制を完成させた宋の官僚達が「教養」と言う部分でも一定の素養を求められていたと言う事と重なるからである。
    戦後(1945年以後)、君主独裁制のための官僚制は無くなったけれども、廃墟と化した国土の復興のためには強い中央政府の力とそれを支える官僚が必要であった。
    そのために帝国大学は名称こそ変わったものの旧八帝大などと呼称され、特に東京大学は、引き続き官僚を輩出するための役割を担い続ける事になった。
    当然、大学入試と言うものも東京大学を頂点として(頂点とするように)なされるものであるから、東大の求める人材=「入試」に影響を受ける。つまり、「教養」「素養」としての「漢文」と言うものも求められたのであろうと。
    (実際、東大の2次試験の「漢文」においては役人としての教養と言う事が出題されてもいるのは、その辺の隠れた動機の顕れでもあろう)
    もちろん、昨今は東大=官僚と言う定式でもないだろうし、来るべき2020年の入試改革でこの辺がどの様に意識変化しているのかは大いに興味の尽きないところではあるが、
    「なんで漢文を勉強するのか?」と言う問いに対して、「歴史的に」と言うだけでは愚答でもあるので、一応長々と。