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学而第一01(「論語」):訓読文・書き下し文



学而第一01(「論語」):現代語訳



    先生(孔先生)は言われた、

    「学んで、その事を、折にふれて復習すること。

     (それは)何と素晴らしいことではないか。

     (学問をしていると)同じように学問を語り合う友人も遠方からやって来る。

     (それは)何と楽しいことではないか。

     他人が自分の価値を知ってくれなくても、恨みに思わない。

     そのような人物こそ、学問・道徳性の備わった人物(君主)なのだ。」と。



    ・子 

    ⇒ 「先生」の意味。【孔子】は「孔先生」の意味。「孔子先生」だと「孔先生先生」となる。


    ・曰

    ⇒ 「言う」の意味。「曰はく」と送る。


    ・学而

    ⇒ 「学びて」。ここの「而」は順接。


    ・習

    ⇒ 「習う」の意味ではあるが、繰り返しする事。「復習」の意味。


    ・朋

    ⇒ 「友人」の意味であるが、通常の友人を超えた意味で用いる(「朋友(ほうゆう・ぽんゆう)」などと昔(昭和期)は使った)。ここでは志を同じくする友人の意味。


    ・不知而

    ⇒ 「ぢらずして」。ここの「而」は逆接。


    ・君子

    ⇒ 「優れた人」の意味の他、文字通り「君主」の意味。




    有名な【孔子】【論語】の一節であり、この分野の学習としてはそれこそ必ず通る部分。
    「学而」と言う事で、「学習」の在り方をテーマにした内容だが、春秋戦国時代における統治(政治)の在り方を左右した「哲学」「思想」について取り扱ったものでもある。

    【孔子】は「儒学(儒教)」の創始者であるが、魯の宰相として理想の政治の実現として「儒学」を実践した人物でもあり、今の世に至るまで2000年以上にも亘り影響力を有している。

    「朋」や「君子」と言うのは、言葉としての説明としては上記の様にだが、当時としてはそれ以上の意味を含んだものでもあっただろう。
    (「君子」は「君子危うきに近寄らず」や「君子は豹変す」などと故事成語にもなっている。)
    「理想の政治」をもたらす上で必要な事は何か。これが【論語】に含まれている内容であるので訳をする上での分かれ道になる部分である。