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学校の授業の現国と大学入試の現代文の違いは何ですか?


    高校生の国語の授業と言えば、他の科目の自習時間になっていたり、あるいは休憩タイムと称して堂々と寝たり、と
    ある意味、真面目に授業を受けてくれる人が少ないのが定番になっている様相さへありますが、
    (無論、私立の中高一貫の進学校では入試問題をガツガツやる場合も少なくないと思いますが)
    その様に高校生がしてしまう理由として、当の高校生の話を聞くに
    ①:学校の国語を真面目にやっても入試の現代文で点数が取れない
    ②:先生の趣味(or大学時代に専攻した内容)に沿う場合は不必要にしっかりやる
    ③:国語が受験科目に必要ない

    等々の理由を挙げる事が多いのですが(?)

    ②の事例は往々にして聞く話ではありますが、本当にそれが大学受験に関係が無い話かどうか? (確かに、村上春樹の世界を延々と授業としてやられても閉口はするところでしょう。たとえ教科書に載ってたとしても) しっかりと見極めて欲しいと言うのが一つではあります(そうとしか言えません)。
    ③の場合は、仕方が無いと言えば仕方が無いですが、そんな事をして授業態度が悪いとして、単位を落としても知りませんよ?(そうとしか言えません)。

    さて、問題は①の場合

    学校の授業が大学入試に直ぐに役に立たないと言われれば、それは塾や予備校とは違うので当たり前の事ですが、
    しかし、学校の先生も②の様に趣味に走ったり、やる気が無い場合には、本当にいけませんが、
    良く良く見ると、大学入試にも役に立つであろう事を想定して授業をしている事が殆どです。
    大学入試の問題は、ご承知の通り「選択肢」か「記述」かのどちらかであって、それを根拠を持って解答していくのには「論理的」である事が必要であるとされています。
    この「論理的」については、(              )でも触れましたが、
    結局のところ、「文章の中における要旨(筆者の言いたい事)を追って行ったモノ」となります。
    学校の先生もそこは十分承知な訳ですから(当たり前ですが、彼らも「論理」の研究をしている訳です)、 その「論理」って何ぞや?と言う事を生徒に伝えるように授業を組み立てている訳ですが、 ここで塾や予備校の先生との大きな差異は、使える教材が決定的に違うと言う部分。
    塾や予備校の教材で「学校のテキスト」をベースに受験問題の演習をしていくと言う事は無いでしょう。
    それは、教科書が使えないと言う事ではなくて、そもそも教科書は「受験用のテキスト」ではないからです。 (「国語」の教科書は広く日本人の国語力を涵養するために作られたものであって、大学入試と言う選別試験のためとは目的を異にしています) ですから、当然、受験用に編集された塾や予備校のテキストの方が、常日頃入試の事と向かい合っている高校3年生からすれば”役に立つ”と言う事になってしまします。
    他方、残念ながら、学校の先生達(特に公立の先生)は一定の縛りがありますから、どうしても”教科書”を使わざるを得ません。 そうなると、自ずから”学校役に立たん”と言うイメージが先行する事になります。
    時間との勝負に追われる受験生に、それでも学校の「国語」の授業を全身全霊で受けましょうとは(受験に携わるワタクシの立場では言い切り辛いモノがありますが) 、しかし先生方もその限界と現状を分かりながら授業をされている方が大半だと思いますので、受験生の方も、国語の授業を受けつつ、「自分ならこんな選択肢を作るのに?」とか、 「この前の塾・予備校の記述の授業での解答であれば、この文章はこうかな?」とか、目の前にある素材(環境)をも受験のトレーニング素材として活用して頂いたら良いのではないか?と。

    ただ、国文学科や日本語の研究をする学部に入ろうと言うなら、学校の国語の授業を聞かずにどうする?と言う当たり前の事を最後に。