このページを Google Bookmarks に追加

大学入試の国語で良く聞く「二項対立」って何ですか?


    予備校や塾で現代文の授業を受けると”ほぼ必ず”一回は耳にする「二項対立」と言う事についてですが <とbr>
    極めて簡単に言えば、「対立する(反対の)」「別の考え方」、(A)と(B)の様なモノを指します。

    具体例としては、”あなたの(長所)と(短所)”の様な事になります。

    ただ、これだと「反対の事例」と言う事で「反対の考え方」にはなりそうもないので

    「労働は人間こそが行うべきだ」(A)

    と「労働はAIやロボットが行って人間は楽をすべきだ」(B)

    と言う二つの考え方などが適当な例でしょう。

    この二つの考え方を駆使して文章は作られます(特に「評論文」)。

    ではどうやって使うのか?

    (A)でも(B)でもどちらの考え方で良いですから、先ず自分の考えを決めます。
    とりあえず、(A)としておきましょうか(?)
    (仮にも「国語」を教えている人間が楽してぇ(B)とする訳にもいきますまい)
    (A)の立場になって文章を書く以上、(A)の考えに都合のよい事を書き連ねていくわけです。

    例えば、「人間が堕落しないように労働をするべきだ」とか「人間が人間たる理由は労働をしてるからだ」とか 、非常に格好良い”いかにも”な理由をもってきます。

    対して、(B)の方からはこの”崇高な理念である”(A)の発言に問題がある(欠点がある)事を指摘して(A)は”ダメな意見”なんだと言う事を主張していくわけです。

    例えば、「人間の労働だけに頼っていてはいずれ増え続ける人口に対処できない」とか 「そもそも人間は楽をするために道具や機械を生み出してきたはず、これを無視して労働が人間そのものであるなどと言う事は目的と手段をはき違えている」 とか「人間が出来る事に万能感を求めても仕方がない。今の世界の発展は道具や機械を使ってきたからこそではないか」などと主張していくわけです。

    当然、(A)も負けてはならじと再び反論を試みます

    「(B)の様な考え方をするから、人間がやわになる。もし災害や何かで電気や機械が使えない事態になったらどうするのか?人間が介在する要素を軽視してはならない」とか 「世界の発展も人間がそれを導いてきたのであって機械やロボットではない。人間が万能でない事は当然であるが、だからと言って機械やロボットも万能ではない」 などと言う事を再びカウンターとして用いてきます。

    要するに、「主張」→「反論」→「再反論」と言う形になっていきますが

    これを見ると、「あれっ?ディベートと同じでは?」などと思ってくれた人は「はいそうです」と。
    結局のところ、”文章”とは筆者の主張をより説得力のあるものにするためにあるわけで、そういう意味で文字で表現するのが「文章」
    言葉で表すのが「ディベート」と言う事になるわけです。

    ですから、最終的に筆者の意見は勝つように出来ている訳で(わざわざ文章を時間と頭を使って作って自分の意見を負かす文章と言うのは普通はないので、 もしそういう事をしている文章であれば、それは何か違う狙いがあるか、負けたと見せかけて実は違う意味を掴まされているとか、そう言う違う次元の事になってきます)
    読む側からすれば、先ずは筆者が一番訴えたい事を探し(いわゆる「要旨」を探し)これを辿って(たどって)行けば”本来は”終わりになる訳です。

    しかし、それだけだと単調で問題として点数差が生じない事から、色々と問題を複雑にしていくと言う訳です。
    (例えば、文章中の微妙な表現の部分を空欄にしてみたり、選択肢の表現を複雑にしてみたり、傍線部から離れた部分にあるところを解答にしたり、と様々に工夫を凝らす訳です)

    ですが、逆に言えば、この二項対立が使われているのであれば、その分、色々な情報も多くなるわけですから(筆者の意見だけでは無くて、違う考え方の意見も出てくるので) これを参考にして解答を探していくと言う事も出来る訳です。

    だからこそ、現代文では”お約束の二項対立”と言う事が出来るくらいに重要な技法(手法)なので、塾や予備校の授業、果ては現代文の参考書ではよく耳にしたり目にしたりする 機会が多いわけです。