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スマホ(IT機器)と国語力


    最近の若者はパソコンを使うよりもスマートフォンやタブレットを重視していて、新入社員がパソコンを使えなくて、大人がビックリと言う事も珍しく無いようである。
    使う側からすれば、より便利に、より使い易いものに流れるのは至極当然の事であって、要はパソコンと言う大きな筐体(箱)と持ち運びに不便(重量と言う点でも操作性と言う点でも) な仕様がよりスマートフォンやタブレットの保有・利用に拍車を駆けているのだろう。
    それはそれで、適者生存と言う事で良いのかと思うが、しかし、こう言ったモノを使い慣れている世代の生徒さん達の中には 非常に「国語」に難を示す者もいる。
    これは、あくまで自分の経験の上での話なので、そういう事が全体的な傾向であるのかを知る由もないが(別に教育の臨床とかをしている訳では無いんで)
    国語の文章、特に問題文は「縦読み」であるかと思うが、それを読むのが非常に苦痛であると。
    なるほど、そういう生徒がどの様に文章を読んでいるのか、実際に彼らに実際に声を出して問題文を読んでいって貰うと、確かにズレルのである。
    これは、行数を飛ばす、つまり今まで読んでいた行の次では無くて、何故か2つ先だったり、次の段落の中盤だったり、兎に角、連続性が途切れる現象がある。
    そして、必ず「疲れた」と。
    当然、「ちゃんと読んだら?」と促すわけだが、「辛いです」と。
    正直、何でそんな現象が起きるのか良くわからなかったが、休憩時間に彼らがおもむろにスマホを取り出して指でスーッと弄っているのを見ると、得心した事がある。

    ①:見ている画面は横文字である

    ②:画面を指で動かしているが、同時に、必要な情報を探してかなり飛ばして読んで(見て)いる

    なるほど、これを若い時(幼い時)からやっていれば、律儀に一行一行読むのは苦痛なのも理解は出来る。
    要するに、彼らは自分に必要な情報だけを意図的に取捨すると言う事を無意識に行う癖がついてしまっていると言う事なのだろう。
    無論、我々もネットで検索をする時に、彼らのように文章を飛ばして目的のキーワードや言葉だけを探す傾向はある。
    だが、一行づつちゃんと読もうと思えば、それを行うのが苦痛だとは思わない(もちろん、老眼や近視など肉体的な衰えに伴う色々はあるけれども)。
    肉体的には我々の何倍も若い彼らが、文字を読む(文字列を追う)のが苦痛だとは何とも不思議な事ではあるが、現実に「読むのがシンドイ」と言う事であれば、 その原因の一つとして、少なくとも「文字を一字一字読む」と言う事に対する”慣れ”や”練習”が足りないと言う事だろう。
    (主に若い世代のスマホ使用の主要な目的である)ゲームや、ゲームの攻略情報の収集、Youtubeの閲覧、あるいはLINEでのやり取りは、 ざっと言えば必要な情報を取り出せれば良いと言う部分に主な作用が置かれている。(Youtubeだってツマラナケレバ飛ばすし、先に進めて結果だけを見る事も出来る) 残念ながら、我々老骨に鞭打つ世代は、”そのような取捨選択に憧れつつも”結局は「本」をしっかりと一字一句読んで情報を取得していたポンコツ世代と言う事になる訳である。
    しかし、別にゲームの攻略やYoutuberがツマラナイ事を披露しているのを飛ばして取捨選択するのは、スマホを操作している人の自由ではあるが、 学業に関わる問題や、教科書、入試問題を自分の勝手で取捨選択をして貰っては困るのである。
    それは、困ると言うよりかは、物事の知識を習得したり、物事を考えていく際に、書かれている文字(情報)が必要なのか不要なのかは、最初の所見、しかもスマホで見る様な見方で そこまで判断が出来るのか?と言うのは非常に疑問な点である。
    事実、その様にして読む(見る)人は、押しなべて問題を解く際の根拠が薄弱だったりもする。
    「どうしてこの解答になったのか?」と聞いて
    「一応、ここです。」と虫食い状態の情報の断片を示すのは、まだ良い方で、
    酷い場合は、「なんとなく」とか「これが正解な気がします」と選択肢だけを見て解答をする”ツワモノ”もいる。
    そんな場合に「問題文を読んだのか?」と聞くと、ケロッと「問題なんか読んでないです」としれっと真顔で答えられたりすると、一体この人達は、目の前にある膨大な文字の量を何だと思っているのだろう? 何だか、小さい黒いものが集合している様な感じなどと思っているのだろうかと考えてしまうが、問い詰めて行けば、単純に「読むのがメンドクサイ」「読むのが疲れる」と言うセリフが出てくるので、 やっぱり読書の習慣(と言うか、読書と言う行為をちゃんと身に着けさせる)が定着していないのは恐ろしい事だと。
    別に、スマホを始めとするIT機器が悪いとか、ゲームをするなとか言う気は毛頭無い。当然、これからの世の中は、それらIT機器を使いこなして行く者が勝利者になるのだろう。
    ただ、それは、道具の利用法に習熟していると言う事であって、目の前にある”モノ”を無視して利用もヘッタクレモ無いものだと思ってしまう。
    技術が進歩するほど、空虚さが支配するとは正にこの事であろうと実感する次第だが、より情報を多く取得するための道具であるIT機器の発達と利便性の向上が、 かえって情報の根源である文字を回避させる様になるとは、それこそ一流のファンタジーであろう。

    最近、マイクロソフトの創始者であるビル=ゲイツの子育ての話が出ていたが(イギリスのミラー紙)、彼は子供が14歳になるまで携帯電話を持たせなかったばかりか、 14歳を超えて携帯電話を持ってもその利用方法に色々と制限を付けたそうである。(家族の団欒の時間に使わない、食事中に使わないなど)
    そして、極め付けが「重要なことは質の高い時間を多く持つことだ」と言う発言。
    それこそ、こちらのエピソードの方が、世界の奇妙な話TOP10に入っても良い位の話だと思うが、要するに物事には段階と言うものがしっかりとあると言う、何よりの証左であろうと思う。

    大事なことは本を読む能力を獲得してからIT機器へ(スマホへ)

    少なくとも、「情報」が何たるかを理解した上で、「情報取得」の旅に出て欲しいと思うのである。

    さて?「読むのが苦痛だ」と言っていた生徒達はどうしたのか。
    この方達には、ちゃんと授業の時には音読をして問題文を全部読んで貰う事にしました。
    もちろん、それだけで時間を使うので、本来の授業の在り方としては考えさせられるものなのですが、そこは保護者の方の理解の許、何とか修正を図って行くと言う事に。
    直ぐに何かの効果が出るわけではありませんが、その後、(何もしなくても)国語の成績が伸びたと言う事を見るに、やっぱり国語力の基礎は「ちゃんと文字を読める事」それに尽きるの一言であります。

    今宵はここまでに致しとう存じます。